三鷹オスカーについて

なつかしの三鷹オスカーらいんあっぷ(解説:鶴田法男氏・浩司氏 資料提供:金子二郎氏)

三鷹オスカーファン必見! 三鷹オスカー名物「らいんあっぷ」。 
今だから語れる裏話の数々。 読んでいるだけで80年代にタイムスリップしそうですね。
 
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80年3月号
三鷹オスカーが毎月配布していた“らいんあっぷ”がこれです。
同館を経営していた鶴田家ではこの“らいんあっぷ”の保管場所を失念してしまい、三鷹市在住の脚本家、金子二郎氏のコレクションをお借りしました。
これはその中で最も古いものです。三鷹東映から名画座に転身した1977年9月3日から3年ほどの間はこの縦開きの細長いフォーマットでした。この3/4の辺りを折ると表に「写真」と「3本立」の表記、裏が「カレンダー」と「地図」、そして中面がその月の「プログラム」になり、定期入れに入るサイズでした。
これは割引券にもなっていました。記載作品上映中のみ有効ですが、この一枚で何度ご来場くださっても割引でご覧いただけるシステムでしたので観客の皆さんは毎月定期入れに入れてくださっていたようです。
 
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‘81年頃から“らいんあっぷ”は横開きになり、三鷹オスカー番組編成、鶴田浩司の大学の同級生、芥川秀明氏のイラストが表紙を飾るようになりました。
また、裏には鶴田浩司の執筆による「助演者たち」の連載も始まりました。
ちなみに、この’81年9月の中で最も高い人気を誇ったのはスタンリー・キューブリック監督作品の三本立。
キューブリック特集は人気が高かったので年に2回ほど番組を組んでいました。
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82年10月

三鷹オスカーは基本的に三本立の名画座でしたが、配給会社の要望で二本立にしなければならない時もありました。
さて、話がそれますが、皆さんは映画が映画館で上映されるまでのシステムをご存じでしょうか? 
映画は映画配給会社がプリント(フィルム)を所有しており映画館はそれを借りて上映をするのです。
ロードショー(最初の公開)が終わった後に、ロードショー劇場で使って傷んだプリントを配給会社から借りて低料金で上映をするのが名画座です。ですが、公開間もない作品や人気の高い作品は名画座が上映したいと配給会社にお願いをしても、プリントの貸出料がとても高かったり、諸々の厳しい条件を課せられることがありました。
そんな当時、三本立の名画座は二本立の劇場よりも軽視されていました。なぜなら二本立と同様の料金で三本観られるからです。しかも劇場側もそれで良しとしていました。ほとんどのお客様が時間つぶしに来場していたからです。
例えば、東京の大森にあった三本立劇場のあるプログラムは『イノセント』(ヴィスコンティ監督の文芸作)、『サンバーン』(米国製アクション映画)、『悪魔のいけにえ』(現代ホラー映画の金字塔)でした。でも、この支離滅裂さが当たり前だったのです。
ですから、三本立にした作品は価値が下がると配給会社は考えており、作品によって二本立を条件にして三鷹オスカーにプリントを貸し出したのです。
その結果、この月では二本立のプログラムが幾つも出来てしまいました。しかし、三鷹オスカーはその三本立の悪しきイメージをくつがえし、他にはない練り込んだプログラムを組む劇場として映画ファンから厚い信頼を得ることが出来ました。
なお、『007』の三本立が出来なかったのも配給会社の意向によります。
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82年12月
三鷹オスカー13年の歴史の中でドル箱と呼べる番組が幾つかありました。
一つがこの『ダーティー・ハリー』、1〜3の三本立。この番組は閉館までに3回上映しています。これを上回る4回の上映を誇ったのが『エマニエル夫人』、『続・同』、『さよなら・同』の三本立でした。
そして、それを更に上回る三鷹オスカー史上最多の上映回数5回を飾ったのが『青い体験』、『続・同』、『新・同』の三本立。
これは’78年から5年の間に年に1回ずつの上映を行いました。では、一作品で最も上映回数が多かったのは何かといえば『博士の異常な愛情』です。先述の通りで、やはりキューブリックは人気が高く同監督の特集は同作と共に10回も組んでいました。
ちなみに、監督特集のトップはウディ・アレンの12回でした。
番組編成、鶴田浩司の趣味もたぶんにあるかも知れませんが、三鷹オスカーではウディ・アレンはキューブリック以上の人気作家だったようです。
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83年4月
今回の「三鷹オスカー 一日だけ復活!!」第二弾で上映するフェデリコ・フェリーニ特集が、この’83年4月にも組まれています。
残念ながら『8 1/2』と『魂のジュリエッタ』はありませんが、この2本も当然、別のフェリーニ特集で上映していました。このイタリアの巨匠も人気が高く三鷹オスカーを大いに支えてくれた作家の一人です。
また、この月は大変に盛況な一ヶ月でした。配給会社さんの好意で名画座であまり上映されていなかったまさに狂熱的人気の『レッド・ツェッペリン』が、やはり人気の『ウッド・ストック』と上映できたことと、やはり熱烈なファンがいる『ロッキー・ホラー・ショー』他のロック映画三本立を組めたことで場内は一ヶ月間ほぼ満杯でした。
1977年に名画座に転身して以来、他の名画座ではやっていない特異な番組作りを苦労して続けてきたことが業界にも観客の皆さんにも評価されて、「東京の三鷹市に三鷹オスカーあり」と全国に知られるようになったのはこの頃からだったかも知れません。
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83年9月

この月は三鷹オスカーの挑戦と模索の月でした。
ご覧の通り全て二本立です。
この理由は、黒澤明作品は三本立上映が許されなかったこと、『ビッグ・ウェンズデー』や『黄昏』は当時まだプリント貸出料が高かったこと、などなどの理由で二本立てになったのですが、三鷹オスカーとしても二本立興行でどれくらいのお客様がいらっしゃってくださるかを探ってみようとしたのです。
正直、二本立で経営が成り立つのであれば色々な面でありがたかったのです。しかし、結果としては三本立の方がお客様は喜んでくださるようでした。
もちろん、黒澤明特集や『ビッグ・ウェンズデー』、『黄昏』が不人気だったわけではないのですが、「三鷹オスカーは三本立」というイメージがお客様にすっかり定着していたのです。
ですから、その後は今まで通りに三本立をメインに番組を組んでいくことになりました。
以上、金子二郎さんからお借りした“らいんあっぷ”はまだまだ沢山ありその一枚一枚の思い出を語りたいところですが、きりがないので今回はこの辺にしておきます。

 三鷹オスカーは洋画を多く上映していたので洋画専門館のイメージがあるようですが、先述のように黒澤明特集を組んだり、溝口健二、小津安二郎をはじめ鈴木清順、藤田敏八、市川崑などなどの監督、また『若大将』シリーズや吉永小百合特集などの様々な邦画も上映していました。
ですから、今回の「第一回 三鷹コミュニティシネマ映画祭」は「三鷹オスカー 一日だけ、復活!!」だけに限らず、全ての作品がかつての三鷹オスカー上映作品の様な気分で楽しんでいただけると思います。
                     (by 鶴田法男・鶴田浩司)